土方家佐藤家


またしても急にふらりと日野参り(笑)
土方さんの和泉守兼定は5月のこの時期しか展示されていないそうなので、それを拝見したいと思って出かけました。

ということで、土方歳三資料館におじゃましました。
この日は歳三忌の日でしたので、午前中から開館してらっしゃって、来訪者も多かったですね。
だんだら羽織を着た方がイベントスタッフの如く門外で番してはりました(笑)



門から少し進んだ所にある歳三さん。写真とはあまり似てないような気もします…


資料館には石田散薬関係のものや歳三の鎖帷子や鉢鉄、例の豊玉発句集を軸にしたものなど。
そしてそしてお目当ての和泉守兼定…!
ちょっと感慨深かったです。
…刀身が傷だらけなんですよね。
私が今まで見た日本刀は美術品で、それはそれは美しいものばかりだったのですが、和泉守は、もちろん手入れされて美しかったのですけど、「本当に使ってた刀」なんだな〜と思うと何とも言えない気持ちになりました…。

それから、鞘に鳳凰や花の絵が描いてあって美しかったですね〜


お庭先に育っている「手植えの矢竹」
17〜8歳の頃に「将来は武士になって名を成す」と誓いながら植えた矢竹だとか。うんうん、勝っちゃんと同じ武士になるんだよね!(笑)
それが今でもちゃんと育ってるんですからすごいですね。

こちらはその矢竹から作った根付。
限定販売ということでしたので手に入らないと思っていましたら、まだ少し残ってたんですよね〜〜!
当然赤い紐のものGET(笑)
一人一個しか買えなかったので、見せびらかすだけです〜(笑)


その後、歳三さんのお墓のある石田寺(せきでんじ)へ。
歳三忌でしたので、たくさん人がいらっしゃってました。
参加費とか必要だったようですが、参加費を支払ったら何ができたんでしょうか。
土方陽子さんとか池田屋のご主人とか、拝見した事のあるお顔をお見受けしましたよ。
とりあえずその時はお参りもできそうになかったので、しばらく時間をつぶしてから再訪したら、もう誰もいなくて静かなたたずまいでした。

お墓には写真が。
井上源さんと同じく、このお墓には歳三さんは眠ってませんが彼の魂のかけらは日野に戻ってきてますよね。
歳三忌当日の割には、お花が控えめのような気はしますが、あえて献花は辞退されているのでしょうかね?

石田寺にはこのような碑もありました。


石田寺から徒歩数分。古くから石田村の鎮守の森だったという「とうかん森」の現存部分。
ほんの一角だけですが、すごく大きな木があって鬱蒼としてます。
遠くからだと、そこだけこんもりしてるのですぐ分かりました。。
歳が勝っちゃんの出稽古をこんな所で待ってたりしたのかな〜、なんて妄想が浮かびますな(笑)
100年前だと、森の樹はもうちょっと小さかったでしょうね。


ヒノキとかカヤ、フジなどの大樹があります。
左の写真のうね〜っとしてるのがフジですよね。もう花も終わってしまって地面に藤の花がいっぱい落ちてました。
咲いてる時に来たら綺麗だったと思いますわ〜!
カヤといえば碁盤ですよね(笑)こんなでっかいカヤだったら、ええ碁盤取れまっせ。
余談ですが、本因坊秀策って意外と幕末の人物だったんですね。勝っちゃんと同じ空気を吸ってた時期もあったんですよね〜。


この後は’06年4月に開館したばかりの佐藤彦五郎・新選組資料館へ。
こちらも土方歳三資料館同様、ご子孫の方が自宅の一角を資料館として公開されています。
アホな私は外観のお写真撮らせていただくのを忘れました。
ステキな外観のお宅ですよ。
佐藤彦五郎館のサイトでも外観写真が載っています)

こちらの資料館でもご子孫の方の丁寧なご説明をいただきまして、ああ来てよかったと思える所でした。
近藤さんから彦五郎さんに譲られたという短銃もあって、しかもそれが文久元年のことというではありませんか。まだまだ浪士隊の話すらない頃ですよ。そんな時代に短銃持ってたんですか?近藤さん!
それからもう一つの目玉は歳の鉄扇。なんだか鉄扇というと鴨さんってイメージですが、ちょっとした武器防具の代わりに持っていたようですよ。
それにしても佐藤家っていうのはさすが名主さんのお宅で、ホントにきちんと日記とか史料とか残されてるんですよね。
佐藤彦五郎さんという方は、名主業のかたわら天然理心流の振興にも努め、事務作業も完璧。すごいお方ですよ。
大河のキャラとは違うですよ(笑:でも小日向さんの彦五郎さんも魅力的でしたよね)


やっぱり日野は何度行ってもいい気持ちで帰ってこれます。
またいつか日野多摩ツアーしたいものですわ♪


モドル

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